一人だと自分の心の声を聞くのが難しい
こういうと「じゃあ、自分で自分の心の声を聞けるようになれば、カウンセリングは必要ないの?」と思う人もいます。
たしかに、自分の心の声を正確に聴くことができるなら、カウンセリングは必要ありません。
ただ、ほとんどの場合、それができる人はまずいません。限りなく0%といっていいほど、僕たちはそれができません。
自分自身も含めて、まわりを見回してみてください。
悩みの大小の違いはあれど、悩みを持っていない人など、この世にいません。
一時的に悩みのない時期はあっても、それは短期間のこと。長期的に見て悩みのない人など、いません。
それは僕たちカウンセラーだって同じです。
だから、僕たちカウンセラーも、ときどきカウンセリングを受けて心のメンテナンスをしないといけません。
では、なぜ僕たちは一人だと、自分の心の声を聴くことができないのでしょうか。
その理由は二つあります。
一つは、僕たちは日常の雑多な出来事に追い回されてしまうからです。
心を亡くすと書いて忙しいといいますが、まさにそのとおり。
仕事、家事、子育て。それだけで僕たちの一日は埋め尽くされてしまいます。
しかも、ほんの少しできたスキマ時間は、テレビを見たりスマホをいじって過ごしてしまいます。
自分の心の声に耳を傾けるというのは、心豊かに生きるためにもっとも大事なことです。
でも、今すぐやらなきゃという緊急性はありません。
しかも、手軽で簡単に脳を刺激してくれるテレビやスマホと違い、地味でめんどうな時間のかかる作業です。
たとえ深い喜びを感じられたとしても、緊急性がなく手間がかかる地味でめんどうなことは、つい後回しになってしまうのです。
それは、ダイエットや筋トレに似ているのかもしれません。
ダイエットや筋トレをしないせいで、生活習慣病になるのと同じです。
僕たちは、心の声を聴くのを延々と後回しにしてしまいます。
そして、モヤモヤやイライラが、抱えきれないほど大きくなり、心の病になってしまいます。
いまはマインドフルネス、いわゆる瞑想が心の健康に良いと盛んにいわれていますが、それを実際に習慣にできている人が、どれだけいるでしょうか。
僕たちカウンセラーですら、できていない人が多いと思います。少なくとも僕自身はその一人です。
そもそも昔の人びとだって、出家してお坊さんにならなければ、なかなか瞑想を習慣にできなかったのだと思います。
それを考えると、テレビやスマホなどの手軽な誘惑が増えた今の時代、よりいっそうそういったことを先延ばしにしてしまうのは、当然のことかもしれません。
人間というのは、緊急性がないことは、なかなかやろうとしません。
そして、めんどうで手間がかかることは、よりいっそうやろうとしません。
自分の心の声を聴くことは、緊急性がなく手間がかかるのですから、もっとも先延ばしにされやすい行為なのです。
では、どうすれば僕たちは、自分の心の声に耳を傾けられるのでしょうか?
それは、「心の声を聴くため、対話の相手と日時、場所をきめてしまう」ことです。
たとえば僕たち地球人は、「地球人とはどういう生き物か?」を真剣に考えるには、宇宙人という対話の相手が必要です。
「僕たち地球人はどういう生き物だろうか?」
これはとても重要な問いです。
この問いを普段から真剣に考えていれば、もっと平和に様々な問題を解決し、心豊かに生きていけることでしょう。
でも、人間は必要に迫られなければ、戦争をしたり経済活動でしのぎを削ったりして、時を過ごしてしまいます。
宇宙人という対話の相手がやってくることにより、緊急性が生まれます。
そして、ようやく地球人とはどんな生き物かという問いへの追求が、地球人の中で盛んになります。
必要に迫られないと、僕たち人間は真剣になれないのです。
それを示すかのように、カウンセリングには、治療前変化というものがあります。
たとえば、「予約をしてから今日までの二週間の間に、どのような変化がありましたか?」と、カウンセラーが相談者さんに問いかけるのです。
僕自身は、意識してこの技法を使うことはあまりありません。
それでも、結構な割合の相談者さんが、カウンセリングの最中に、
「実は予約をしてから今日までの間に、大きな気持ちの変化がありまして…。予約のときと相談内容が違っていてもいいですか?」
とおっしゃることがあります。
人間というのは、カウンセリングの予約を入れてやっと、
「自分のこのモヤモヤとした悩みを、どのようにカウンセラーに説明したらいいんだろう?」
と、頭の中でまとめはじめます。
カウンセラーという伝えるべき相手と、予約日時に迫られないと、わざわざ心の整理をするなんてめんどうなことは、なかなかできないのです。
これは僕自身がカウンセリングを受けるときも同じで、予約を入れてからやっと真剣に自分の悩みを考えはじめます。
なので、治療前変化の起きる相談者さんの気持ちは、とてもよくわかります。
(ここに書いている自分なりのカウンセリングの考え方も、ここに書くためにまとめなければ、なかなか真剣に考えられません。ふわっとした感覚として、僕のなかにあるだけです)
人間は、対話する相手がいて、その日時が決まっていないと、自分の心の声に耳を傾けるという、めんどうで手間がかかる大変な作業には、なかなか取りかかれないのです。
これがカウンセリングが必要とされる理由の一つ目です。
安心で安全な環境でやっと自分の心の声を聞ける
二つ目の理由は、心の声を正確に聴くには、批判も否定もされない雰囲気が必要だからです。
生命的叡智である僕たちの心の声は、つねに僕たちにささやいてきてくれています。
でも、その声はとても小さくか細いものです。
なので、ちょっとした批判的な意見や、否定的な声によって、すぐに心の奥に引っ込んでしまいます。
たとえば、40代、働き盛りの男性が会社に行こうとすると、めまいがするようになったとします。
その男性自身は、自分が会社に行きたくないことに、まだ気づいていません。
病院に行くと自律神経から来るものだ、何かストレスに心当たりはないかといわれます。
たしかに、なんだかモヤモヤとした疲れのような、どろっとした黒い沈殿物のようなものが、なんとなく自分のなかにあるような気がします。
でも、それがなんなのか、いくら耳を澄ましても自分の心の声なんて聞こえてきません。
それどころか、
「あなたねえ、40代で奥さんも子供もいるのに、めまいくらいで働きたくないだなんて…。
そんなことでどうするの?ちゃんと男としての責任を全うしなさいよ」
そんな言葉ばかりがあたまに浮かんできます。
実際に誰かからその言葉を言われたわけでないのに、そういう言葉が頭の中にこびりついて離れません。
だから、誰にも相談することができないし、自分の中で整理しようと思っても、批判的な声にかき消されて、自分の生命的叡智、自分自身の奥深くにある心の声が聞こえなくなってしまいます。
また、育児に疲れ切り、生まれてきたばかりの子供を、どうしてもかわいいと思えない。育てていく自信がどうしても持てない。
そうやって追い込まれていく親もたくさんいます。
そんな人の場合、
「あなた親なんでしょ。自分で子供が欲しいといったんじゃない。それなのになに逃げ出しているのよ。
私たちの時代は、もっと大変だったのよ。あなた親なのに自分の子供をかわいいと思わないの?自分の役目をしっかりと果たしなさいよ!」
そんな世間一般の常識的な正論が、あたまの中にこびりついてはなれません。
だから、自分の生命的叡智、自分自身の奥深くにある心の声を聴こうと思っても、こびりついた正論が邪魔をして、うまく言葉にすることができません。
本当は言葉にならない感覚として、
「ただただ疲れた。いくら親だといっても、一人で育てるのは無理がある。
もう私は壊れてしまう。もう全てを捨てて逃げ出したい。ほんの少しでいいから休みたい。
誰か、誰か、誰でもいいから、ほんの少しでいいから、助けて欲しい!」
そう思っているのかもしれません。
でも、頭にこびりついた批判の声で、「いまは誰かに助けを求めるべきだ。このままでは、親子ともに潰れてしまう」という生命的叡智の声が、聞こえなくなってしまうのです。
僕たち人間は、世間一般の常識やよくある正論が現状の自分への批判と結びつくとき、その声が頭いっぱいに広がってしまいます。
そして、それが自分の生命的叡智、心の声かき消してしまいます。
今どうすればいいのか、本当は心身の奥深くにある生命的叡智でわかっていても、それはかき消されてしまうのです。
だからこそ、カウンセリングが必要になります。
カウンセラーは世間一般の常識や正論を捨て、相談者さんがどのようなことを話しても、否定も批判もせずにその感覚を理解しようと接します。
たとえば、「結婚しているけれども、他の人を好きになってしまった」、「たまに部下を激しく怒鳴りつけたくなり、自分のことが怖くなる」。
相談者さんが、そういう感覚を持っていることだってあります。
そういう相談の場合、相談者さんがいきなりそのことを話してくれることは、あまりありません。
全く違う相談内容を話したり、問題の核心に触れない話題を話したりして、遠回しに少しずつ、こちらの反応を伺ってきます。
そういうとき、カウンセラーは相談者さんの語る内容がどのようなものであれ、否定も批判もせずに話を聴いていきます。
そして、話の内容とその人が持っている未だ言葉にならない感覚を理解しようとします。
とはいえ、ときには相談者さんの話が、驚かざるをえない内容のことだってあります。
そういうときに、まゆ一つ動かさず、悟りを開いたお坊さんのような表情で話を聴くのも、なんだか不自然です。
そういう態度で聞いてしまうと相談者さんは、
「いやいや、さすがにこの相談内容で驚かないのは不自然でしょ…。
このカウンセラー、本当に私の話ちゃんと聞いてるのかな。
それとも、私の言ってることを信じていないのかな…」
そう思ってしまうかもしれません。
それでは相談者さんは安心できなくなり、カウンセラーの信頼感が壊れてしまいます。
カウンセラーだって人間ですから、驚いてしまうことだってあって当然です。
驚かざるをえない内容のときは、驚いたのが顔に出てしまってもいいのです。
それを無理に隠そうとするから、信頼関係が壊れてしまうのです。
なので、たとえ一瞬、自分の心が驚いたとしても、
「ああ、いま相談者さんの話に、自分自身も驚いてしまったな」と、自分の心の動きを正直で正確に判断できればいいのです。(自己一致)
そして、
「この人が結婚しているのに、他の人を好きになったというのは、どんな背景があり、どのような感覚なんだろう?」
「この人が部下を怒鳴りつけたくなり、自分自身が怖くなるというのは、どんな背景があり、どんな感覚なんだろう?」
そうやって相談者さんの話の内容を、相談者さんの目と相談者さんの耳と相談者さんの肌で感じようとすること。
それにより、相談者さんの心が体験していることを、できるだけ自分の心で再生してみようと、深い関心を持ち続けること(共感的理解)。
「ああ、なるほど。正直、最初は少し驚いてしまいました。
でも、そういう人生を生きてきた背景があり、今の現状がそういう状況ならば、そういう気持ちになってしまったというのが、少しわかった気がします」
相談者さんの感覚を理解できたと思ったら、それを世間一般の価値観や常識、正論で評価や判断することなく、その感覚をしっかりと受け止めること。(受容)
「ここは大切なポイントなので、間違いないように確認したいのですが、いまのお話を聞いて、私はそう感じたのですが、そういう理解で間違いないでしょうか?」
相談者さんの話を聴いて自分のなかで理解した感覚が間違っていないか、丁寧に相談者さんと確認すること。(伝え返し)。
そういう態度で接していくことで、相談者さんに対する理解が深まります。
それは一度に起こることではなく、対話をする時間が長くなるにつれ、螺旋のように少しずつ理解が深まっていきます。
それと同時に、「ああ、このカウンセラーさんは、否定も批判もせず、しっかりと自分のことを理解しようとしてくれている」と、安心で安全な雰囲気を作ることができます。
ある意味、そういう雰囲気を作り出すことが、対話の本質であり、カウンセリングの本質なのだと思います。
自分でさえ受け入れられないありのままの自分が受け入れられる雰囲気があれば、人間の生命的叡智は力強くなり、自分自身が成長すべき姿へと進んでいきます。
そして、その人が成長していくにつれ、精神的な葛藤がほぐれていきます。