カウンセリングの基礎といえば、受容、共感、自己一致です。
僕たちカウンセラーは、相談者さんの話を受容、共感、自己一致の態度を持って、しっかりと聴くことによってカウンセリングを行っていきます。
一応、簡単に説明しておくと、
受容・・・悩み、迷っている相談者さんを、そのままに受け取っていくこと。その相談者さんがどのようなことを話しても、ただそのまま受け止めること。
共感・・・あたかもその相談者さんになりきったように、その人が感じている感覚や感情を、同じように感じようとすること。
自己一致(純粋性)・・・カウンセラー自身が、自分自身の頭で考えていることと、さらにその奥にあるまだ言葉にならないような感覚が、できるだけ一致していてズレがない状態
となります。
これがわかりにくい理由として、カウンセリングの初期学習のときに、
「カウンセラーはアドバイスをしてはいけない。
カウンセラーの意見を言うのもよくないし、カウンセラーの感情を相談者さんに伝えるのもよくない。
あくまで鏡のように、相談者さんの言葉や気持を反射すること」
そういう教えられ方をすることがあるのです。
もちろん、はじめてカウンセリングを学ぶ人の中には、「カウンセラーが、心理学や人生経験を使って、アドバイスをするもの」と思っている人もいます。
まずはそういう人に、アドバイスをせずにしっかりと傾聴することによって、人格変容が起こることを体験してもらうのは、とても大事なことです。
でも、
「カウンセラーはアドバイスをしてはいけない。
カウンセラーの意見を言うのもよくないし、カウンセラーの感情を相談者さんに伝えるのもよくない。
あくまで鏡のように、相談者さんの言葉や気持を反射すること」
これにこだわりすぎてしまうと、あきらかに不自然なカウンセリングになってしまうことがあるのです。
民間でカウンセリングを学んだ人には、そういう違和感を感じたことがある人も、多いかもしれません。
たとえば、「受容的な応答とはどんなものか」、「共感的な応答とはどんなものか」、「自己一致している応答とはどんなものか」と、やってみせたり、受講生さんに実際にやってみてもらったりします。
ですが、これもどうも僕としては、しっくりこなかったのです。
たとえば、僕と奥さんでこんなやりとりがありました。
「あのさ、カウンセリングのデモンストレーションの練習したいから、ちょっと付き合ってくれへん?」
「いいよ~。なにしたらいいの?」
「じゃあ、受容的なカウンセリングのデモンストレーションするから、ちょっと受容できなさそうなことをいう相談者さんの役して」
「受容ってなに?」
「う~ん、まあ、受け入れるとか、うん、なにを言っても否定せずに受け止めるみたいな。そんな感じかな。まあ、とりあえず受け止めにくいようなこといってくれたらいいよ」
(もうこの時点でうまく説明できていません)
「わかった~」
「じゃあ、いくよ。今からはじめます」
「私、万引きしたんです」
「えっ!!!万引きですか!? いや、「え!!!万引きですか!?」っていうてもうたやん。
ちょっと待ってちょっと待って、なにそれ。ビックリしすぎる。あかんあかん。今の失敗。
これ悪い例。今みたいに驚いちゃったら受容できてないの。
え?じゃあ、なんていったらよかったんやろ?あかんあかん、ちょっと今日はもうやめや」
なにしろ、生後10ヶ月の赤ちゃんを抱っこした自分の奥さんが、なにも悪びれる顔をせず、「私、万引きしたんです」といいだしたのです。
ロールプレイとはいえ、そのビジュアルインパクトは相当なものでした。
なので驚いてしまい、思わず「え!!!万引きですか!?」といってしまったのです。
でも、それから数日、僕は考え込みました。
では、あのとき、なんといっていたらよかったのだろう?
それを考え続けるうちに、ふと気がつきました。
「やっぱり、「え!!万引きですか!?」で正しかったんや!!」
僕は早速、奥さんに報告に行きます。
「あのさ、こないだのロールプレイやねんけど、やっぱりあれで正しかってん」
「なにが?」
「ほら、「私、万引きしました」っていって、僕がえ!!!万引きですか!?」っていったやつ。
あれさ、よく考えてんけど、やっぱりあれで正しかってん。
だってさ、もしあそこで冷静なフリして、「うん、万引きしたんですね」なんていったら、なんかすごい不自然やねん。いかにもカウンセラーぶってるって感じするやん。
僕、それはなんかおかしいって思うねん。
それってさ、一見受容してるように見えるけど、さも私は冷静ですよって受容してるフリしてるだけやと思うねん。
内心では、(うっそ~ん。万引きしたん。なんでこの人まったく悪びれもせず、開口一番そんなこといえんの?マジでびっくりするねんけど)って思ってるはずやん。
で、そうなるとそれって、自己一致できていないわけ。
なんかうまく説明できひんけど、受容も自己一致もできてないなら、そのカウンセラーは共感もできてないはずやねん。
受容、共感、自己一致って、バラバラに起きるんじゃなくて、同時進行で同時多発的に発生するもんやねん。
だから、あの場合は、まず自己一致して「え!!!万引きですか!?」でよかってん。
あそこで驚かずに冷静なフリしてるっていうのは、1人の人間として相談者さんの前に立ててないってことやねん。
カウンセラーぶって冷静なフリするよりも、ずっとそっちの方がいい。
そもそも相談者さんの方も、びっくりするやろうな~と思っていってるはずやから。
でも、そのあとに受容していこうと気持ちを切り替えていけばいいだけやねん。
たとえば、「え!!!万引きですか!? あ、ごめんなさい。ちょっと突然のことで驚いてしまったんですけど、ちょっと詳しくお話を聞かせてもらってもいいですかね?」とか。
そしたら、ちょっとずつなんで万引きすることになったのか、事情を話し始めてくれるかもしれへん。
事情がわかってくれば、少しずつ万引きしてしまう気持ちにも、共感できるかもしれへん。
そうしたらやっと、万引きしてしまうその人のことそのものを、受容できるようになってくると思うねん。
まあ、そんなに毎回うまくいくわけじゃないかもしれんけど。
で、こういうときって、まず最初に自己一致が大事やねん。
目の前の相談者さんに万引きしたっていわれたら、やっぱりびっくりするし、動揺するやん。
いや、刑務所のなかのカウンセリングやったら別やで。
でも、普通の状況やったら、びっくりして動揺するのが当たり前やん。
ここで全く動揺してないフリしたら、それって相談者さんに伝わると思う寝んよな。
それってカウンセラーの仮面をかぶってるだけで、1人の人間として接することができてないと思うねん。
いや、別に驚くことが大事なわけじゃないねん。でも、いま自分が驚いている、動揺しているっていうことには、気づいとかなあかん。
まずは自己一致してないと、受容も共感も生まれへん。
だってさ、自分自身が動揺してるとか、びっくりしてるとか、そういうことすら受容して自己一致してない人間が、他人を受容して共感するなんて、できるわけないよな。
ロジャーズさんが自己一致が一番大事っていってたのが、よくわかるわ。
で、そこまで考えるとやっぱりあのときのは「え!!!万引きですか!?」でよかったんやと思うねん。
でさ、この受容、共感、自己一致って、いつも別々に説明するっていうか、まあ僕らもそうやって教えられてきてんけど、これって別々にしたらおかしくなっちゃうねん。
本来これは、同時多発的で同時進行で進むものやから、別々に説明すること自体が無理があるねん。
これって結局は、やってみせるとか、自分自身がやってみるとか、体験学習じゃないとわからんねよな。
受容だけを勉強しましょう。共感だけを勉強しましょう。自己一致だけを勉強しましょうってやると、はじめて勉強する人は混乱しちゃうねんよな。
万引きを受容するって不自然じゃない?みたいな感じになっちゃうの。
体験して学ぶことが大事って、本当によくわかったわ。
なんかさ、仏教で象の例え話があるねん。
うろ覚えやねんけど、目の見えへん人が3人おるの。
で、王様がその3人に象を見せてあげるの。
1人は尻尾を触って、1人は象の足を触って、もう1人は象の鼻を触るねん。
で、王様が、象とはどのようなものか?って、その目の見えない3人にきくねん。
じゃあ、1人は「蛇のように細長いものだった」、2人目は「木の幹のように太いものだった」、3人目は「太い綱のようなものだった」っていうの。
で、その3人はみんな自分が正しいっていって、ケンカしはじめるねん。
そこで王様が、お前達3人は、どれも正しい、っていうねん。
カウンセリングって、これと同じやと思うねんよな。
象をわかろうと思ったら、象の一部分だけでなく、まず全体を見ることが大事やねんよな。
象の足と尻尾と鼻を足し算しても、それはやっぱり象じゃない。
カウンセリングもそれと同じで、受容と共感と自己一致を足し算しても、それは決してカウンセリングじゃない。
ロジャーズさんはあくまで、カウンセリングを録音してそれを分析していった結果、うまくいっているカウンセリングでは、受容と共感と自己一致ができているっていっただけで、受容と共感と自己一致を足し算したらいいカウンセリングになるなんていってないねんよな。
これがいままでカウンセリングをややこしくしててんよな。
だからさ、思ってんけど、カウンセリングを教えようと思ったら、受容、共感、自己一致をいきなり説明するよりも、まず、カウンセリングをやってみせることが一番いいと思うねんよな。
それであとから、ここは受容できてたとか、この時点ではまだ共感にいたってないけど、後半50分あたりでやっとこの人の言いたいことがわかって共感できたとか、そういう説明をした方がいいと思うねん」
夜の11時頃、僕は力説しました。それはもう熱く熱く語りました。僕は自分の思いつきに、光を見いだしていたのです。
そして、奥さんはいいました。
「ふ~~ん。ほな、寝るわ」。
結論、カウンセリングを教えるのは、やっぱり難しい。