カウンセリングとは

カウンセリングとは




人間は、言葉にできない感覚を、うまく扱うことができない


では、なぜ感覚的にわかっていることを、わざわざ言葉にする必要があるのでしょうか。

それは、人間は言葉にしなければ、その感覚や概念をうまく心の中で扱えないからです。


たとえば、インド人は0という概念を発明しました。

でも、ある日突然、0があたまに浮かんだのでしょうか?

おそらくはそうではないはずです。


なんとなくそれまでも人間は、うまく言葉にできたことはなかったけれども、0という感覚をうっすらとぼんやりと持っていたはずです。

ですが、その言葉にならない感覚に名前を付けた人がいなかったので、0という概念をうまく扱うことができなかったのです。

なので、正確にはインド人が0を発明したというより、まだ誰も言葉にしたことがなかった0という感覚に、はじめて0という名前を付けた。

そう表現した方が、ずっと正確だと思います。


そうやって感覚に名前を付けなければ、僕たちはその感覚を使って思考にすることも、概念として扱うこともできません。

それはどういうことかというと、自分の意思でその感覚を無意識から引っ張り出すことができないということです。


感覚に名前を付けることによって、その感覚を思考の道具として、自由にいつでも頭や心の中で扱うことができるようになるのです。

名前を付けていない感覚は、一瞬で忘れてしまいます。なので、名前がついていない感覚は、長く意識にとどめておくことがとても難しいのです。


名前がついていない感覚は、無意識としては存在していても、意識として扱うのがすごく難しいのです。


そして、人間というのは、本当は言葉になっていない感覚をたくさん持っています。

人間の感覚のほとんどは名前がついておらず、ただ無意識を流れていくだけです。


でも、人間の意識の大半は言葉でできています。

言葉になっていない感覚は、うっすらと意識に上ってくることはあっても、その意味を理解されることなく、ただただ流れ去っていってしまいます。


日常の大半の感覚は、そうやって流れていっても問題ありません。

僕たち人間は、心に生じる感覚を全て正確に言葉にしようとしていたら、いくら時間があっても足りません。

なにより、名前がついていない感覚を言葉として表現するというのは、とても脳みそを使うことです。

そんなことをしていたら、あっという間に疲れ切ってしまいます。

(カウンセリングという行為が、相談者さんもカウンセラーもとても疲れるのは、ここにあります)


だから、僕たちの感覚のほとんどは、無意識的に流されていくようにできています。

でも、本当に大事な感覚は、たとえ言葉になっていなくても、流されずに心の中に感覚として残り続けます。


特に、僕たちの生命的叡智が、解決する必要があると判断したネガティブな感覚は、心に引っかかるしこりとして、残り続けます。

そうすると、最近、なんだか意味もなくイライラするなとか、なんだか心がモヤモヤするなと思うようになります。


それでも、僕たちが自分の言葉にならない感覚に耳を傾けないとき、「会社に行こうとすると頭が痛くなる」とか、「学校に行く時間になるとお腹が痛くなる」と、身体的反応として現れるようになります。

または、いつも職場の人間関係でもめて仕事を辞めたり、問題のある異性とばかり恋愛をするようになったり、仕事、恋愛、家族関係などで、同じような問題を何度も繰り返してしまったりします。


こういう状態を解決するためには、自分の言葉にならない感覚に目を向けなければなりません。

自分はなににイライラしてるんだろう。なにが嫌なんだろう。本当はどうしたいと思っているんだろう。

それをうまく言葉として表現することができたとき、僕たちの無意識と意識はより統合され、より自分らしい自分になれます。

人間が自然に持っている生命的叡智、未だ言葉にされたことはないけれど、自分の中に眠っている感覚を正確に言葉にしていくことで、その感覚に自信が持てるようになっていきます。

それにより、自分が進むべき方向性や、いま自分がどうすればいいのかが、自然とわかるようになります。

そして、よりタフに、より強靱に自分の人生を歩んでいくことができるようになります。





自分の感覚がよくわからない理由



ただ、その言葉にならない感覚は、多くの場合、自分でもあまり気づきたくないことだったりします。


自分の弱い面と向き合う必要があったり、世間一般的な価値観とは大きく違う感覚が自分の中にあることに、気づかされたりします。

ときには、古いかさぶたをはがさなければならないこともあります。


それはやっぱり焦点を当てるのが辛い感覚です。


だから、弱い自分や古傷、世間から批判されそうな感覚には、つい蓋をして意識に上りにくくなっているのです。


たとえば、「大企業に勤めているけれども、いまの自分には合っていないから辞めたい」と思っているとします。

でも、そんなことをいうと、「せっかく大企業に勤めているのに、もったいない。家族だっているんでしょ。いまの会社を辞めたいなんて、考えが甘いんじゃない」といわれるかもしれません。


いや、誰にもいわれていなくても、なんとなく自分の頭の中で思考をめぐらそうとすると、そういうごく世間一般的な批判の言葉が繰り返されてしまいます。


そうなると、「自分に合っていない仕事を10年もしてきて、もう心底疲れ切ってしまっている」、そういう感覚を封印してしまいます。

それが長い期間続くと、職場の人間関係で問題が起きたり、夫婦関係がギクシャクするようになったり、身体的な不調になったりします。


こういうときは自分の言葉にならない心の声を聴いて、「ああ、そうだ。自分は心底疲れ切っていたんだ。会社を辞めたかったんだ」と気づく必要があります。

だからといって、すぐに会社を辞めるわけではありません。

会社の中で上司と話し合い、部署異動をするかもしれません。

夫婦で仕事の辛さについて話し合い、そのしんどさを理解してもらえば、夫婦のあり方が変わってくるかもしれません。

心身の不調が出たときは、いい意味で手を抜いて仕事をできるようになるかもしれません。

そして、今までとは全く違う人生を歩みたい自分に気づくことだって、あるかもしれません。


どのように変化していくかは、自分の心の声に耳を傾けてみなければわかりません。

ただ、自分の中にあるまだ言葉になっていない感覚、生命的叡智に耳を傾けていくことにより、変化が起きてくるのは間違いありません。